本来ならばここは私のオリジナル小説を出すべきコンテンツなのですが、私としては断固として放置出来ない問題が現在国会で審議されています。
児童ポルノ禁止法改正案です。
国会では六月二十六日の審議から自公案と民主案で議論を競っています。
(ちなみに七月二日に与野党が修正協議に入ったと言うが正直どうなる事か)
いや、議論を競うと呼んで良いのかは不明ですが・・・
率直に言えば自公案は極端かつ曖昧な上に極めて大きな危険を孕んだ法案だと言わざるを得ません。
まだ民主案の方がベターです。
ここまでだと読んでいる方の中には、『なんだキモイオタクの泣き言か』と思う方もいるかもしれません。
ですがこれはそんな低レベルの話ではない事を声を大にして言いたい。
何故それが問題なのかを私のつたない語りですが説明いたします。




まず自公案特徴とその案の何が問題なのかご説明します。
自公案での最大の特徴、それは児童ポルノの単純所持の禁止です。
簡単に言えば自分の快楽目的だろうと児童ポルノを持っていればそれは犯罪となる訳です。
(詳しく言えば一年以下の懲役または百万円以下の罰金となるらしいです)
『キモイオタクざまみろ。泣いて悔しがれ』と言う人がいるでしょうが、ここにまず一つ大きな問題があります。
すなわち自公案には児童ポルノの規定がまったくの曖昧な事です。
一体何が児童ポルノに入るのか?
自公側(与党と呼びたくない)の主張では児童ポルノの定義として『衣服を一部または全部着けていない』とあります。
一見すればその通りと思えますが(現に私もそう思いました)調べていく内に疑問が浮かびました。
自分の子供がプールで遊ぶ姿を写真にとるとそれも児童ポルノとなるのではないのか?
我が子が体育会で駆けっこする姿を写真やムービーでとる事も児童ポルノにならないか?
まさかと思う方もいるでしょう。
ですがここでもう一度自公側の児童ポルノの定義を見てみましょう。


『衣服を一部または全部着けていない』

ほら、児童ポルノの一丁上がりです。
『ははは何を馬鹿な』そうおっしゃる方は正直甘いです。
小中学生女子の着用するスクール水着や、体育の授業時に着用するブルマ(これは現在もあるのかは不明)だって肌が露わです。
見る人が見ればこれも児童ポルノです。
いくら『これは自分の子供だ』と言っても『自分の子供で性欲を発散させるのか』と切り返されれば打つ手はありません。
そして、もっと恐ろしい事にその写真などは警察のさじ加減で児童ポルノかが決まると言う事です。
これだと個人個人の判断、いえ率直に言えば警察の独断と偏見(見込み捜査とも言うらしいです)によって逮捕される危険性が高いのです。
『でも、そんな個人の物をどうやって調べるんだよ』
それもある意味簡単です。
いささか極端な例を挙げます。
私が、隣に住むある人物を憎んでいました。
ある時、その人を陥れようと思い付き、その人のパソコンに児童ポルノを勝手にダウンロードさせるコンピューターウィルスを何らかの方法(私はその方法は知りません。あくまでも仮定の話です)で感染させてその上で警察に密告する。
『もしもし、隣の○○さんですが、児童ポルノの画像をダウンロードしていますよ』
そうすれば児童ポルノ法違反で家宅捜索されてその人のパソコンから児童ポルノの画像が現れる。
はい、これでこの人は逮捕され懲役一年か百万円以下の罰金です。
仮にウィルスの仕業だと言う事が証明されて不起訴となったとしても、その人の社会的なダメージは相当なものです。
おそらく仕事は解雇され、近所でも陰口を口を叩かれそこには住めなくなるでしょう。
既婚者だったとしたら奥さんや子供にもその制裁は加えられます。
上記にも書きましたがこれは極端な例です。
ですが、こういった事例、実は規制を推進している一派らがお手本としている欧米、特にアメリカでは多発しています。
ひどい物の中にはおとり捜査と称して、警察が創った児童ポルノのサイトを閲覧させて、その上で逮捕と言う違法ぎりぎりの捜査すらまかり通っています。
それでも、どんな家庭にだって子供の時の写真は押入れの奥のアルバムとかに一枚や二枚ある筈です。
無いとなると、それはよほど経済的に困窮してカメラを買う事すら出来なかったか、子供時代、両親から愛されていなかった家庭なのか。(無論後者は後者で大問題です)
それを警察が『児童ポルノ写真見つけました』と言えばそれで終わりです。
仮に無いとしても、もし警察が『こいつを様々な理由から何としても捕まえたい』と考えれば、隙を見つけて用意した写真をおいて『見つかりました』と言ってもアウトです。
国会の審議で推進派の議員は『恣意的に使われる事はない。冤罪は無い』と言いましたが、正直どの口からそんな寝言ほざくのかと思います。
この議員はお忘れのようです。
一月足らず前、十八年間無実の罪で刑務所で懲役刑を受けていた人が最新のDNA検査の結果無実を判り釈放された事を。
一年ほど前、婦女暴行の罪で刑に服していたがその後、真犯人が判り、慌てて裁判所が再審を行い改めて無罪となった男性の事を。
数年前、選挙違反を警察にでっち上げられた人達がいた事を。
どれもこれも警察の見込み捜査の暴走、更には密室の取調室でのやくざも真っ青の恫喝で泣く泣く自白したのが原因です。
ちなみに件の議員『自白は証拠の王様』だとも抜かしていました。
早い話、政府も警察も今までの事は全く反省していないと言う事なのでしょう。
問題が起こった時は頭をヘコヘコ頭を下げて嵐が収まれば頭を高くする。
それが政府や警察上層部のやり口なんでしょう。
またこの議員を始めとして推進派の方々はかなり強引なこじ付け、憶測、偏見で法案を改正(彼らの視線からすれば)に導こうとしています。
が、それについては書き出せばきりが無いので、別のページで書こうと思います。
少し話が逸れましたが、思いつく限りでもこれだけの冤罪を引き起こしている警察がいとも容易く無実の人間を犯罪者にする事が出来る道具を使わない筈がありません。
(使いやすい道具を使いたがるのは人間の本心)
そうなれば警察お得意の別件逮捕も思うがまま、警察や政府に不都合な人間を社会的に抹殺するにも便利な一撃必殺の猛毒を手に入れられます。
それほど学歴も高くない私がここまで思いついたのです。
高学歴の警察や政府お偉い方が思いつかない筈がありません。
だからこそ危険なのです。
『どんな法律も危険性はあるぞ』
そうおっしゃる方もいるでしょう。
それはその通りです。
どのような法律でも警察、検察、裁判所の見解一つで大きく変わる、そんな事は当然です。
ですが、自公案の問題は、『余りにも簡単に犯罪者を作れる』事と『一度レッテルを貼られたらそれを撤回させるには容易な事ではない』事です。
性犯罪、それも子供に対しての犯罪となれば人の見る眼は人間のクズを見る眼に変わります、まず間違いなく。
そこから脱するには、国内外に脱出するかもしくはこの世からおさらばするか・・・様は自殺です。
現実の児童にそのような事をしたのならば、それは生涯糾弾されるに相応しいものですが、上記の様な罠やおとり捜査でうっかりクリックして、罪に問われたなんて事になったら、これほど恐ろしい事はありません。
詳細は不明ですが、これもイギリスでは実際に起きている様です。
(興味があれば検索して見て下さい)

なお、民主党案では、単純所持罪では無く『有償(つまりは他者に売りつける目的での所持)や何度も取得しようとする』行為『取得罪』に限定されています。
私個人としては、多少問題もありますが、自公案よりはまだましだと考えています。
水槽から小石や砂利を取り出そうとする行為に例えるなら民主案はざるで砂利などをかき出して、取り出すのに対して、自公案のそれは器で水ごとかき出すようなものです。


『考えすぎだ』・『それは被害妄想』・『お前も性犯罪予備軍だから必死なんだろう』
そう考えたいならそれでも構いません。
人間は、自分に災禍が及ばなければ、真剣にその問題を考える事が出来ません。
私もそうです。
自分のHPに書かれていた署名活動から調べなければここまで危機感を持つ事はありませんでした。
児童ポルノは確かに根絶しなければならないでしょうし、実在の児童を標的にした犯行には厳罰を持って臨むのは正しい事です。
ですが、上記の様な何の落ち度も無い無実の人に、いとも容易く性犯罪者の烙印を押させるような凶器となる様な物だったら、要りません。
私自身、今まで書いている事が杞憂になれば良いと本気で思っています。
こんな予測当たっても少しも嬉しくありません。
『そんなの自分には全く関係ない』
そう考えるならそれで良いでしょう。
自分が性犯罪者の烙印を押される事に躊躇しないのであれば。
最後にこれは私自身の言葉ではなく田中芳樹先生の著書から一文を引用させていただきます。
『頭が悪いというのは知能指数(IQ)が低いとか偏差値が低いとか、学歴が無いとかそういう事じゃない。頭が悪いというのは想像力がないという事だ』(講談社 創竜伝五巻より)
どうか想像力を持って考えて見て下さい。
この法律が自公案で成立した場合、最悪他の人間がどうなるのかを、難しいようだったら自分がそうなったらでも構いませんから。

ちなみに六月二十六日の審議についてご覧になりたい方がいれば『衆議院インターネット審議中継』で検索して見て下さい。
このサイトで2009年6月26日・法務委員会と検索すれば審議を見る事が出来ます。

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